はじめに~うつと診断された青春時代~
はじめに、私のことをお話ししようと思います。
私は、14歳のころから、心療内科に通い始めました。理由としてはそんな大きなものではありません。ただ、定期テストのときに緊張でお腹が痛くなるので、そんな緊張を和らげるような安定剤をもらっていただけでした。
そんな生活が何年か続き、高校受験のときも、安定剤片手に頑張りました。その結果、県立の第一志望の高校に合格することができました。しかし、これが悪夢のはじまりだったのです…。
高校に入学してからは、吹奏楽部に入り、週7の練習にもきちんと参加していました。もちろん、きついな、と感じることはしばしばありましたが、それでもなんとか、頑張っていました。
高校2年生に上がると、クラス替えがあり、新しいクラスに早くなじめるように自分なりに努力しているところでした。このころから、吹奏楽部の活動がきつくなり、やめてしまったので、部員たちからは白い目で見られるようになっていました。
まだ高校2年生に上がって間もない、春の日のことです…。私はいつものように授業を終え、帰ろうとしていました。教室のドアを開けると、そこには数人のクラスのリーダー格の女子が立っていました。
彼女たちは私を取り囲み、暴言をはいてきたのです。
この時の私は頭が真っ白でした。なぜ、そんなことを言われなければならないのか…。
私は一目散に逃げだしました。友人たちは部活中だったので、彼女たちの部室へと駆け込みました。
しかし、友人である彼女たちは、私を無視したのです。
もう、なにがどうなっているのかわからず、学校から飛び出し、中学時代の友人を頼ることにしました。泣きながら、自転車を走らせ、旧友の家へと行き、いきさつを話しました。旧友は、話を聞いてくれましたし、なだめてもくれました。
この場では私も落ち着きを取り戻しましたが、明日からの学校へは行きたくはありませんでした。
旧友に感謝しつつ、家に帰ることにしましたが、親に今日のできごとを話す勇気はありませんでした。
次の日、私は母からお昼ご飯のお弁当を受け取り、学校に行くふりをして、学校とは反対側にある、駅へ向かいました。入場券だけを購入し、電車に乗りました。地元から遠く離れた駅まで行き、お弁当を食べ、学校が終わる時間帯を見計らって家に帰りました。
母が家で待っていました。
母は「あんた、学校に行ってないでしょ」と、私の行動を見抜いていました。
その後、素直に学校であったことを、泣きながら話し、学校に行きたくないという旨も話しました。
母は案外すんなりと、了承してくれました。
そこからは、高校2年生にして、初のひきこもり生活が始まりました。
引きこもり生活をしていて、ストレスから解放されたと思いきや、やはり受験のことなどを考えると、どうしても不安が襲ってきました。そうしているうちに、私は不眠症になってしまったのです。
夜眠れないこともありましたが、未来に希望が持てなくなった私は、死にたい…という気持ちも徐々にあらわれはじめ、リストカットをしはじめてしまいました。
リストカットはどんどんクセになっていき、私の左手首は傷だらけになっていきました。
こうした私の行動を心配してくれた母は、私を精神科へと連れて行きました。
精神科でくだされた診断は、「うつ病」でした。
このときは、やっぱりそうなのか…と、妙に納得した気持ちになりました。
この診断を受け、投薬治療に入りましたが、一向によくなる気配はなく、高校2年生の秋まではずっとひきこもり生活をしていました。
秋になり、なんとなく学校へ行けるようになりましたが、保健室登校でした。
テストも保健室で受けていましたし、授業には出ていません。なので、高校2年生の勉強はまったくしていない状態でした。
それでも、なんとか出席日数だけのために学校へ行き、保健室の先生に相談をする毎日が続いていました。
高校3年生になると、またクラス替えがありました。私に暴言を吐いたリーダー格の女子たちともクラスは離れ、友人だと思っていた女子たちとも離れることができました。
しかし、この一連の事件を知っているクラスメイトは、3年生になっても、私を避けるようにしてきていたので、居心地は最悪でした。
高校3年生の夏休み、私は一大決心をしました。…転校です。
あと半年頑張ればよかったのですが、どうしても居心地が悪かったため、通信制の高校へと転校しました。(通信制ですが、普通に週5日通うような高校)
転校してからも、私は「学校」というものが怖くなっていたので、学校の最寄り駅に着いたとしても、駅のトイレで泣きながらリストカットをしたり、学校をさぼったりしていました。
新しい高校の人たちは、みんな優しくて、いい人たちだったのですが、どうしてもなじめませんでした。
高校3年生の3月、卒業テストだけをなんとか受け、高校は無事卒業することができました。
このあと、短大に進学しましたが、1年で辞めています。もう、「学校」というものがトラウマのようになっていたんだと思います。
うつと診断された高校時代、眠れもせず、苦しい日々を過ごしました。なんせ、10年以上前のことなのに、こんなにも鮮明に思い出すことができるのです。
今、私は30歳になりますが、30歳にして初めて、ADHDとうつ病と診断されました。さまざまな精神科を転院してきましたが、こう言われたのは初めてでした。
これからここでは、ADHDとうつの経過や、ADHDの薬である「コンサータ」について書いていけたらと思っています。