うつ病とADHDと診断された30女の徒然なる日々

14歳の頃から心療内科を転々とし、時には精神科に入院もあった、管理人タチバナリコの精神科日記。うつ病やADHDを患っている方のお役に立てればと思っています。

コンサータ2日目~副作用との闘い~

コンサータを飲み始めて2日目になりました。

食欲不振になってしまったり、お腹を壊してしまうことがあり、完全に副作用に負けそうです。

 

さらに、コンサータを午前中に飲み、数時間すると、うつな気分が襲ってきて、仕事も手につかず、死にたい…死にたい…となってしまいます。

 

コンサータの副作用に「うつ状態」というものがあったので、受診予定日はまだ先ですが、我慢できずに病院を受診することにしました。

 

すると先生は、私が持っている「うつ病」の症状によって、うつ状態が続いていると判断しました。

 

コンサータも、うつ状態に効果はあるそうなのですが、うつ病ADHDの同時進行での治療は今の私にはリスクがあるということで、まずはうつの治療に専念することになりました。

 

こうして、コンサータは2日目にして、一度休薬となったのでした…。

 

その後の1週間くらいはうつ病の治療に専念するため、トリプタノールという、わりと強い抗うつ剤を飲みました。

うつ状態になることもなくなり、順調に回復していきました。

 

コンサータ2日目から3日目まで、実際の日にちはかなり経っているので、また更新したときにコンサータとの相性や関係、効果などを記載しますね。

コンサータ1日目~新しくかかった精神科での衝撃の診断結果~

私は地元を離れ、他県に引っ越しをしました。その関係で、精神科も今まで通っていたところからの転院をせざるを得なくなり、引っ越し先でのはじめての精神科にかかりました。

 

評判がいいらしく、院内はかなり混んでいる様子。最初に看護師さんからの問診を受け、その後は待合室で待つも良し、外に出るもよし、だったので、外の空気を吸いに行きました。

 

1時間ほど経って病院に戻り、先生との初対面!

女性のお医者さんだったので、とても話しやすかったのが印象的です。

 

先生は、私が「うつ病」であることを見抜きました。そしてさらに…ADHDであると診断したのです。…衝撃でした。

 

そういえば、子供のころから落ち着きがなく、大人になっても衝動買いがやめられなかったり、おしゃべりがすぎて、人を傷つけることもありました…。

 

特にADHDの検査を受けたわけではありませんが、仕事への集中力がないことなどを話すと、先生はそう診断したのでした。

 

ADHDうつ病の両方を治療していこうという方針にかたまり、先生は「必ず治るからね!」と私を勇気づけてくれました。

 

ADHDの治療に役立つ薬である「コンサータ」が処方されました。

コンサータには覚せい作用があるため、午前中もしくは午後の早い時間にしか飲めません。この日は午後16時くらいに診察があったので、次の日からコンサータを飲むこととなりました。

 

~次の日~

私はうつ病のせいで、朝がとても苦手です。なので、コンサータ初日も12時ごろに起きて、コンサータを飲みました。

 

飲むとすぐに気分がハイになってしまい、お腹も壊しました。コンサータを飲んで数時間はハイな状態が続き、とても仕事に集中できるようなテンションではありませんでした。

 

なにせ、コンサータを飲んで数時間のことは覚えていないのですから…。

 

さらに夕方になると、寂しさやら孤独感でうつになってしまいました…。私にはコンサータは合わないのかな…と思い始めましたが、この日はひとまず我慢。

 

さらにはタバコも進む、進む…。いつもの倍くらい吸ってしまうので、ちょっと困っていました。

 

コンサータ1日目は、このような感じで、私にはイマイチ効果はみられませんでした。

 

一番心配していたのは、眠れなくなるかもしれないこと。この日は眠れはしましたが、中途覚醒(睡眠の途中で目が覚める)が多く、熟睡した感じがまったくありませんでした。

 

さて、コンサータ2日目はどうなるでしょうか。みなさんも想像しながら楽しんでいただけたらと思います(笑)

はじめに~うつと診断された青春時代~

はじめに、私のことをお話ししようと思います。

 

私は、14歳のころから、心療内科に通い始めました。理由としてはそんな大きなものではありません。ただ、定期テストのときに緊張でお腹が痛くなるので、そんな緊張を和らげるような安定剤をもらっていただけでした。

 

そんな生活が何年か続き、高校受験のときも、安定剤片手に頑張りました。その結果、県立の第一志望の高校に合格することができました。しかし、これが悪夢のはじまりだったのです…。

 

高校に入学してからは、吹奏楽部に入り、週7の練習にもきちんと参加していました。もちろん、きついな、と感じることはしばしばありましたが、それでもなんとか、頑張っていました。

 

高校2年生に上がると、クラス替えがあり、新しいクラスに早くなじめるように自分なりに努力しているところでした。このころから、吹奏楽部の活動がきつくなり、やめてしまったので、部員たちからは白い目で見られるようになっていました。

 

まだ高校2年生に上がって間もない、春の日のことです…。私はいつものように授業を終え、帰ろうとしていました。教室のドアを開けると、そこには数人のクラスのリーダー格の女子が立っていました。

 

彼女たちは私を取り囲み、暴言をはいてきたのです。

この時の私は頭が真っ白でした。なぜ、そんなことを言われなければならないのか…。

 

私は一目散に逃げだしました。友人たちは部活中だったので、彼女たちの部室へと駆け込みました。

 

しかし、友人である彼女たちは、私を無視したのです。

もう、なにがどうなっているのかわからず、学校から飛び出し、中学時代の友人を頼ることにしました。泣きながら、自転車を走らせ、旧友の家へと行き、いきさつを話しました。旧友は、話を聞いてくれましたし、なだめてもくれました。

この場では私も落ち着きを取り戻しましたが、明日からの学校へは行きたくはありませんでした。

 

旧友に感謝しつつ、家に帰ることにしましたが、親に今日のできごとを話す勇気はありませんでした。

 

次の日、私は母からお昼ご飯のお弁当を受け取り、学校に行くふりをして、学校とは反対側にある、駅へ向かいました。入場券だけを購入し、電車に乗りました。地元から遠く離れた駅まで行き、お弁当を食べ、学校が終わる時間帯を見計らって家に帰りました。

 

母が家で待っていました。

母は「あんた、学校に行ってないでしょ」と、私の行動を見抜いていました。

その後、素直に学校であったことを、泣きながら話し、学校に行きたくないという旨も話しました。

 

母は案外すんなりと、了承してくれました。

そこからは、高校2年生にして、初のひきこもり生活が始まりました。

 

引きこもり生活をしていて、ストレスから解放されたと思いきや、やはり受験のことなどを考えると、どうしても不安が襲ってきました。そうしているうちに、私は不眠症になってしまったのです。

 

夜眠れないこともありましたが、未来に希望が持てなくなった私は、死にたい…という気持ちも徐々にあらわれはじめ、リストカットをしはじめてしまいました。

 

リストカットはどんどんクセになっていき、私の左手首は傷だらけになっていきました。

 

こうした私の行動を心配してくれた母は、私を精神科へと連れて行きました。

 

精神科でくだされた診断は、「うつ病」でした。

 

このときは、やっぱりそうなのか…と、妙に納得した気持ちになりました。

 

この診断を受け、投薬治療に入りましたが、一向によくなる気配はなく、高校2年生の秋まではずっとひきこもり生活をしていました。

 

秋になり、なんとなく学校へ行けるようになりましたが、保健室登校でした。

テストも保健室で受けていましたし、授業には出ていません。なので、高校2年生の勉強はまったくしていない状態でした。

 

それでも、なんとか出席日数だけのために学校へ行き、保健室の先生に相談をする毎日が続いていました。

 

高校3年生になると、またクラス替えがありました。私に暴言を吐いたリーダー格の女子たちともクラスは離れ、友人だと思っていた女子たちとも離れることができました。

 

しかし、この一連の事件を知っているクラスメイトは、3年生になっても、私を避けるようにしてきていたので、居心地は最悪でした。

 

高校3年生の夏休み、私は一大決心をしました。…転校です。

あと半年頑張ればよかったのですが、どうしても居心地が悪かったため、通信制の高校へと転校しました。(通信制ですが、普通に週5日通うような高校)

 

転校してからも、私は「学校」というものが怖くなっていたので、学校の最寄り駅に着いたとしても、駅のトイレで泣きながらリストカットをしたり、学校をさぼったりしていました。

 

新しい高校の人たちは、みんな優しくて、いい人たちだったのですが、どうしてもなじめませんでした。

 

高校3年生の3月、卒業テストだけをなんとか受け、高校は無事卒業することができました。

 

このあと、短大に進学しましたが、1年で辞めています。もう、「学校」というものがトラウマのようになっていたんだと思います。

 

うつと診断された高校時代、眠れもせず、苦しい日々を過ごしました。なんせ、10年以上前のことなのに、こんなにも鮮明に思い出すことができるのです。

 

今、私は30歳になりますが、30歳にして初めて、ADHDうつ病と診断されました。さまざまな精神科を転院してきましたが、こう言われたのは初めてでした。

 

これからここでは、ADHDとうつの経過や、ADHDの薬である「コンサータ」について書いていけたらと思っています。